2008.05.22 Thursday
「神社合祀に関する意見」口語訳その18
また佐々木忠次郎博士は昨年10月の『読売新聞』に投書し、欧米には村落ごとに高塔があって、その地の目標となる、わが邦の大字ごとにある神林は欧米の高塔と等しくその村落の目標となる、と言った。
漁夫など無学な者は海図などを見ても分からず、不断山頂の木また神社の森だけを目標として航海する。洪水または船が難破した際に神林を目的に泳いで助かり、洪水や津波の後に神林を標準として他処の境界を定める例は多い。
摂州三島郡、また泉州一円は合祀濫伐のため神林全滅し、砲兵の演習に照準を失い、兵士は休息と露営に事を欠き、止むを得ず田畑また砂浜でするため、日射病の患者が急に多くなった、と聞く。はなはだしい場合は、合祀伐木のため飲料水が濁り、また涸れ尽きた村落がある。
2008.05.18 Sunday
「神社合祀に関する意見」口語訳その17
第六
神社合祀は土地の治安と利益に大害がある。
むかし孔子に子貢が尋ねたことには、殷の法に灰を町に棄てた者を足切りの刑に処せるのは苛酷すぎるのではないか、と。孔子が答えて言うには、決して苛酷ではない、灰を町に棄てれば風が吹く度に衣服を汚し、人々は不快を懐く、自然に喧嘩が多くなり大事を惹き起こすだろう、故に一人を刑して万人が慎むための法である、と。
西洋諸国が、土一升に金一升を惜しまず専心して公園を設けるのも、人々に不快の念を懐かさせず、民心を和らげ世を安んじようとするのである。わが邦は幸いに昔から大字ごとに神社があり仏閣があって人民の労働を慰め、信仰の念を高めると同時に、一挙して和楽慰安の所を与えつつ、また地震、火難等の折に臨んでは避難の地を準備したのである。
2008.05.05 Monday
「神社合祀に関する意見」口語訳その16
第五
神社合祀は愛国心をおびただしく損ずる。
愛郷心は愛国心の基である、とドイツの詩聖は言った。
例を挙げると、紀州地方より海外に出稼ぐ者が多いが、つねに国元へ送金して、まずその一部分を自分の産土神に献じ、また出稼ぎ地方の方物異産を奉り、故郷を慕う意を表す。
西牟婁郡朝来(あっそ)村は、従来由緒もっとも古き立派な社が三つあったが、例の5000円の基本金に恐れてことごとく伐林し、只今路傍に憩うことができる樹林は皆無となった。
その諸神体を、わずかに残った最劣等の神社に抛り込み、全村無神のありさまで祭祀も三年来中止している。そのため、その村から他処へ奉公に出る若者らは、ときおり自村に帰っても面白味がないのでといって長い間、帰省しない。
2008.05.02 Friday
「神社合祀に関する意見」口語訳その15
神社の社の字、支那では古く二十五家を一社とし、樹を植えて神を祭る。『白虎通』に、神社に樹があるのは何のためか、尊んでこれを見て民人に望んでこれを敬させる、これに植えるのにその地に産する木をもってする、とある由。
大和の三輪明神をはじめ熊野辺には、古来老樹大木だけがあって社殿のない古社が多かった。これが上古の正式である。『万葉集』には、社の字をモリと読んでいる。後世、社木の二字を合わせて木ヘンに土(杜字)を、神林すなわち森とした。とにかく神森あっての神社である。
昨今3000円やそこらの金を無理に算段して神社の設備が大いに挙がると称する諸社を見ると、すでに神林のうっそうとしたものがないため、古えを忍ぶだの神威を感ずるだのという気持ちが少しも起こらない。あたかも支那の料理屋の庭に異ならない。
2008.04.30 Wednesday
「神社合祀に関する意見」口語訳その14
第四
神社合祀は国民の慰安を奪い、人情を薄くし、風俗をおびただしく害する。
『大阪毎日新聞』で見たが、床次(とこなみ)内務次官は神社を宗教外のものと断言し、そのうえ神社崇敬云々と言っているとのこと。しかしながら神を奉祀して神社といい、これを崇敬する以上は、神社は宗教内のものであることは明らかである。仏を祀る仏寺、キリストを拝する教会と何の違いがあろう。
憲法第二十八条は信仰の自由を公許されている。神道に比べて由緒がはるかに劣っている天理教、金光教すら存立を許している。神祇は、皇祖皇宗およびその連枝また末裔、もしくは一国に功勲のあった人から下りて一地方一村落に由緒功労のあった人々である。人民がこれを崇敬するはきわめて当然のことである。